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▶ だるうだ

35

本日を持ちまして34歳を卒業し35歳になりました。

四捨五入するともう40なんですよね...。

35歳最初の朝は連日の寝不足から寝坊をしてしまいました。
子供の頃は誕生日が待ち遠しく夜寝れなかったり、20代は友達を集めて騒いだものですが、この年になると静かに過ごす事ばかり考えてしまいますね。


こういう日なので35年間をちょっと振り返ってみる事にしました。






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1971年9月29日誕生
予定日より1ヶ月ほど早く所沢の双葉産婦人科病院で生まれた僕は気管があまりしっかり出来ていなく色々トラぶったそうです。

実はその10年後に『乱診乱療』で有名になった富士見産婦人科病院で生まれる予定だったらしいんですがあまりにも急にお産が来たとかで急遽双葉の方に運び込まれたそうです。

b0026822_131136100.jpg幼稚園は親の方針で近所ではなく少し離れた若草幼稚園へ通いました。
4,5歳の事なんですがこの幼稚園での出来事は結構覚えているんですよね。
最初は怖かったプールも一度克服したら好きになり、こま回し、跳び箱、運動会のリレー、お絵かき、遠足、畑での栽培、等など確かに楽しかった思い出しかないですね。

b0026822_1312596.jpg小学校は家から徒歩40分のところにあった富岡小学校で登校はブロックの子供達6,7人組の班、下校は仲の良い友達と一緒でした。
あの頃は第2時ベビーブームで児童数も多く毎朝登校時には小学生の群れで大変な光景だったと覚えてます。
僕達の学年が一番多く、学年が上がるごとに教室や机の確保が大変だったようです。
体育館は2年の時に新築、そして校舎も建て増しをしていました。

中学校は残念ながらあまり覚えていないんですよね...
文化部だったという事で別に目だった事も無かったですし、あの頃は人生が非常に楽しくなかったので恐らく自分の記憶から削除しちゃったんでしょうね。


1987年5月に親の転勤で香港へ。
b0026822_13124417.jpg中学2,3年の頃学校の勉強を犠牲にしながら塾の勉強に専念し三教科の偏差値を73まで上げたのにもかかわらず、高校の願書を取りに行った帰りにその引越しを聞かされたときはショックでした。
結局偏差値73の英語は全く役に立ちませんでした。

同8月にイギリス軍系のSt.George's schoolに入学した当時全く英語が分からず、先生が何を言っているのか全く聞き取れない状態が1年続きました。
その間家庭教師、塾2件に通い、エッセイ式の宿題も毎朝3時までかかりながらごまかしごまかしやっていました。
今思えば人生で一番辛く頑張った時期でした。
2年目になるといきなり聞き取りが出来るようになり学校の成績もぐんぐん伸び1年目の成績を補えるくらいまでに。

「いいよな~英語がそんなにうまいのうらやまし~」というコメントを頂くと絶対「死に物狂いで勉強しましたから」と答えています。

学校の勉強も余裕が出てきた頃トイザラスでバイトを始め、最初に買ったのがギターでした。
自分で稼いだお金で買ったものはやっぱり格別でそれから毎日10時間はギターを弾いてました。
もちろんせっかく上がった成績もそれから思わしく無かったです...。

でもこの学校では英語で辛かったことより学校ってこんなに楽しいものなんだと気付かせてくれたほど幸せな時期でした。
個人能力を優先するサッチャー時代のイギリス教育のお陰なのか、軍駐在で各生徒2~3年しか香港に居れなかったので皆その仲で人生の思い出を作ろうという気持ちがあったからなのか分かりません。
この学校での思い出が人生で最高だったという卒業生は大勢いて閉校から7年ほど経った今でも世界中にバラバラになった生徒達がネットなどで繋がっています。

1990年1月オーストラリア・ワガワガへ
b0026822_13174633.jpgギターの弾き過ぎでAレベルを失敗し大学進路を考えなくてはならない時期にさしかかり悩みました。
同級の日本人は皆帰国子女枠を使って一流大学へ進学、でもそんなずるをしてまで自分の実力相応でない大学へ進学するのは日本にいる人達に対して不公平だと思ったのであえて海外に留まる事を決心しました。

モンコクの進学相談所にてオーストラリアはどうかと進められ、大学入試資格を取りに1年間ワガワガへ行きました。
コースは外国人枠のもので10カ国程の国籍が一緒に生活をするという貴重な体験でした。
しかしイスラムとヒンズー教徒のなかで仲違いが早々に起こり、昔軍の養生施設として使われていた宿舎では幽霊騒動がきっかけでまた仲直りしたりと色々興味深い出来事がありました。

現地のオーストラリア人は人種差別が甚だしく、道を歩けば車から食べ物を投げつけられたり、店では対応してくれなかったりと生まれて初めて差別を味わった場所でもありました。

1991年2月イギリス・マンチェスターへ
b0026822_1318456.jpgあるきっかけでイギリスへ渡ることになり結局6年半程居座ってしまいました。
オーストラリアでの経験から心配していた人種差別はその間一切受けることも無く、常に大勢の友達に囲まれた生活をしていました。

当初マンチェスターアクセントが全く分からずいつも周りから「お前は南から来たのか?」と言われていたので必死になってマンチェスターアクセントを習得しました。
日本人は周りに一人もいなく、どこに行っても誰にあっても最初の日本人の友達として優しくしてもらえ出来れば永住したいなとまで考えていたほどです。

子供の時から馬鹿正直で物をしっかり言う人間で日本では大人から嫌われ叩かれていたのに香港へ来てイギリス人社会に入った途端受入れられたのでイギリスで骨をうずめてもいいかなと思ったのは当然だと思います。

結局その後の人生に大きな影響をもたらし、自分が自分である事に自身を持たせてくれたのはこの時期でした。

もうマンチェスターから離れて9年になりますが、未だにマンチェスターなまりは大事にしています。

1997年8月香港へ
ビザが切れマンチェスターを離れ一旦香港でこれから何をするべきか考えようと親のいる香港へ。
マンチェスターで永住権取得に必要な手続きを助けてくれる人達が沢山いたので取り合えず香港へ、というのが発端でした。
結局今の仕事に就き、結婚して息子も生まれ安定した生活を送る事になった訳ですが、それはそれで良かったなと思ってます。


これからの35年、一体どのような人生を送る事になるか楽しみです。
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Commented at 2006-09-30 01:48 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by jukmann | 2006-09-29 18:34 | ▶ だるうだ | Comments(1)

だるい + 兄さん = だるにー            香港在住30年のおっさんが香港での生活をまったり日記にしているブログです。


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