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▶ だるうだ

今日で20周年

1987年に日本を出て香港へ着てから20年経ちました。
長かったようで短かったような。
というか軽く20年を語れる年齢にいつの間にかなってしまったんですね~。

UA便で夜着だったんですが、真っ暗な海に浮かぶオレンジ色の光の集まりに向かって降り立ったのを今でも鮮明に覚えています。





人生に何度かその後を決定的に左右する出来事がありますが確実にその時が自分にとって一番大きな分岐点でした。

飛行機のドアが開いた瞬間機内に広がったモワッとぬるく湿りドブの臭い。
それまで15年間経験のした事がなかった何とも気持ちの悪い空気が僕の始めての海外でした。

それまで一緒だった母は先に香港で生活の準備をしていた父と1ヶ月ぶりくらいに会い2人でどこかへデートに行ってしまい、15歳と13歳だった僕達兄弟はそれから暫く色々とお世話になった父の会社の人に連れられ新居へ向かいました。

湿気で曇りがかった車の窓の向こうに広がる無数のオレンジの光。
それまで『何故香港に来なくてはいけないの?』と腐っていた僕でしたが、やはり未知の世界でのドライブはまるで夢の中のような感覚に呑み込まれ何時しかその一生忘れないだろう光景をしっかり眼に焼きつけていました。

オレンジ色の光、そして電柱の無い街。

海底トンネルを通り山を少し登ったところにある高層マンションが立ち並ぶ住宅街に新居がありました。
山といっても岩がむき出しで、その急斜面になった岩に無理やり突き刺したようなビル。下3,4階は駐車場になっていてその更に7回上がったところに住む事になった訳ですが、地震の多い関東地方から来たものとしてそのビルは安全上とても非常識に見えました。

エレベーターを出てじめじめとした廊下を通り通された玄関には鉄格子のドアがあり「香港=マフィア」と思い込んでいた僕はそんなに物騒なんだと怖くなりました。

ダンボールが積みあがっていた部屋に残された僕達は取り合えず日本での生活へ戻ろうとファミコンを出したのは良かったんですがそこで直面したのがテレビのシステムの違いでした。
NTSC?PAL?そんな国によってテレビのシステムが違うなどマルチが高く売れていた20年前に15歳の子供が知るはずも無い訳で、その後その大人が勝手に企業の都合か何かで生み出したテレビシステムの違いに親は幾らと投資なくてはならなかったのか...。

そしてテレビを見ることに。
広東語に吹き返られたドラゴンボールは面白くなかったり、その頃永遠と放映されていたミス香港もあまり綺麗だなとも思えず...。
冷蔵庫にあった果汁100%オレンジジュース「果汁先生」も果汁30%の水増し日本製に慣れていた僕達にはおいしくも無く...。

それから暫く経ったある週末、父の前任者の人と一緒にドライブへ行った時でした。
北の国からのジュンのように故郷を出た事に後悔するだけの僕に言ってくれた事がありました。

「外に出てきたんだから、これからは国際人になりなさい。」

20年後国際人としての職を持ち家庭を持つことになろうとは誰が想像したでしょうか。
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by jukmann | 2007-05-30 12:05 | ▶ だるうだ | Comments(0)

だるい + 兄さん = だるにー            香港在住30年のおっさんが香港での生活をまったり日記にしているブログです。


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